潮御崎神社
KUMANOMANDARA29

少彦名命ゆかりの地

潮御崎神社

しおのみさきじんじゃ

第12代景行天皇28年、潮岬字御崎にある「静之窟(しずのいわや)」へ少彦名命(すくなひこなのみこと)を初めて勧請しました。これが潮御崎神社の創始です。その後静之窟から静之峰へ遷座され、後貞観12年(871)五月潮見の端へ遷座しましたが、明治2年に潮岬灯台建設のため、この潮見の端から再び旧地静之峰へ遷座し、明治31年6月、昭和57年10月社殿を修復して今日に至っています。

日本書紀神代記に、「大国主命、少彦名命と力を合せ心を一にして中津国を経営して後、少彦名命行きて熊野の御崎に至りて遂に常世国に適でましぬ。」少彦名命熊野御崎より常世国に渡り給うたという神話にちなんで、御縁深い御崎の静之窟に勧請し祭祀を始めました。

又古事記・日本書紀に、「十六代仁徳天皇三十年 秋九月十一日大后磐之媛豊楽(宮中での御酒宴)をし給はんとして紀国に遊でまして熊野の御崎に至り、その処の御綱柏を採りて帰り給う。」とあります。

御綱柏の木と伝承されて来た植物(まるばちしゃの木)が今も静之窟の周辺に自生しています。

現在の社号は潮御崎神社。古来、熊野御崎神社・ 御崎大明神・御崎観音・水崎明神として伝えられてきました。


ご案内

潮岬灯台のある南端の荒磯には黒潮本流が接岸して、速きこと矢の如く白きこと雪の如しと唱われる激流の危険海域で、季節には鰹が群遊する好漁場です。江戸時代初期に は周参見浦より下田原浦にかけて、18ヶ浦漁民が競って御崎沖に出向い命がけの鰹漁が盛んに営まれました。旧の1 月、5月、9月18日には各浦の船主船頭達が当社に参集して 恒例の「岬会合」が開かれ、鰹漁に関する申し合わせ事項の順守と豊漁海上安全祈願祭が斎行され、昭和初期まで継承され、近世漁業組合法の基盤を成すと評価されました。

御歌

ここにます
神にたむけのみてぐらなれや
潮の御崎に 
寄する白波
(六十五代)花山法皇

潮御崎神社連絡先

和歌山県東牟婁郡串本町潮岬2881

0735-62-0919