臨済宗妙心寺派 国指定重要文化財・薬師瑠璃光如来
定光山
大泰寺だいたいじ
熊野の名刹で知られる当山は、太田・尾捨山の中腹にあり、今をさかのぼること千百有余年前、時の桓武天皇の勅願を請け天台宗伝教大師が開創したと伝えられます。
本尊の薬師如来は大師一刀、三礼の作で、関南薬師・ 昇南薬師とも呼ばれ国の重要文化財に指定されています。他に天笠毘首羯摩作の日光仏・月光仏、弘法大師作の十二神将不動明王、毘沙門天がまつられています。
当山の開基は定かではありませんが、享禄、天文の頃 (1528〜55、後奈良天皇))安渓禅師が曹洞宗を興したとあります。中でも八世雪潭禅師は、時の聖上陛下 (孝明帝)により「紫衣」を賜り、「真如妙覚禅師」の称号を贈られた高僧として有名です。
本堂は、元禄2年に創建され、現在の建物は昭和七年に再建されました。毎年正月8日・13日には、薬師如来前にて、国家安泰・五穀豊穣・家門繁栄の祈祷祭(大般若祈祷)が行われます。
御本尊
主な行事
1月8日 初薬師魔伐祈祷(バチバチ)
1月13日 大般若法要
4月16日 中興開山毎歳忌法要
8月16日 山門総大施餓鬼法要
大泰寺薬師堂
この薬師堂は入母屋造で回り縁があり、正面に向拝のある三間堂です。堂内は中央に一間四面堂の形をとり、その後方に須弥壇を設けています。
建物はかなりの改造が見られますが、長押を用いず貫で固め、 太い柱を使うなど禅宗様の色合いが強く、特に須弥壇の木の鼻のくり形の様式は古いものです。室町時代中期の面影を残し、外観も非常に美しい建物です。
大泰寺縁起
桓武天皇の勅命を奉じ遷都の地を求めて諸国行脚に出た伝教大師は当地を訪れた際、蛇渕に宿り人々に危害を加える大蛇封じを懇願され、大師は清め7日の行をして、大仏像を作り薬師様をまつられました。そして無事、大蛇を封じられました。時は延暦7年12月末のこと。この地の所有者は薬師様に寄進して、永世薬師の霊場として、大師を通じて奉納したと伝えられています。
薬師瑠璃光如来像
伝説に伝教大師一刀三礼作といわれています。
寄木造坐像、高さ1.06メートル、像内に保元元年(1156)の銘と法橋尊誉の名があり、仏師の作とみられています。国の国宝 (重要文化財)に指定(昭和46年6月)。
御利益
天下泰平、五穀豊登(五穀豊穣)、家門繁栄、諸縁吉利、 衆病悉除、福寿増長、危難消除、交通安全