熊野那智大社
KUMANOMANDARA18

世界遺産

熊野那智大社

くまのなちたいしゃ

熊野那智大社社伝に「神武天皇が熊野灘から那智の海岸『にしきうら』に御上陸されたとき、那智の山に光が輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、神としておまつりになり、その御守護のもとは、八咫烏の導きによって無事大和へお入りになった」と記録されています。

命の根源である水が豊富にあふれ落ちる「那智大瀧」 を、この熊野に住む人々も神武天皇御東征以前からすでに神として奉祀していたとも伝えられていますが、古代からこの大瀧を「神」としてあがめ、そこに国づくりの神である「大巳貴命」(大国主命)を祀り、また親神様である「夫須美神」(伊弉冉尊)をお祀りしていました。

その社殿を大瀧のほど近くの、しかも見晴しのよい現在の社地に移したのは仁徳天皇5年(337)と伝えられています。この時、大瀧を「別宮飛瀧大神」とし、新しい社殿には「夫須美大神」を中心に、国づくりに御縁の深い十二柱の神々をお祀りしました。 やがて仏教が伝来し、役小角を始祖とする修験道がおこり、古来の神々と仏とを併せて祀る、いわゆる神仏習合の信仰が行われるようになりました。

その後、「蟻の熊野詣」といわれる程に全国から沢山の人々が熊野を目指すことになり、中でも、皇室の尊崇厚く、延喜7年(907)10月、宇多上皇の御幸をはじめとして、後白河法皇は34回、後鳥羽上皇は29回もご参詣の旅を重ねられ、また花山法皇は千日(3年間)の瀧籠りをなされたと記録されています。


ご案内

心の汚れをはらい清める霊地、再び甦る聖地。 ※聖の住所はどこどこぞ、箕面よ、勝尾よ、播磨なる書写の山。 出雲の鰐淵や、日御崎、南は熊野の那智かとや(後白河法皇「梁塵秘抄」より)

御主神

夫須美大神(ふすみのおおかみ)

御祭神

    御歌

    雲ゆきる 
    那智のたか根に 
    つきたけて
    ひかりをぬける 
    瀧のしらいと  
    ※西行法師(山家集より)

    熊野那智大社連絡先

    和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1

    0735-55-0321