救馬渓観音
KUMANOMANDARA6

真言宗 小栗判官ゆかりの寺

瀧尾山

救馬渓観音

すくまだにかんのん

当山は1300年前の飛鳥時代、修験道の開祖「役の行者」によって開山され、その後天暦七年(953)、空也上人が自ら刻んだ観音像を奉安。後に熊野詣でに行幸された鳥羽上皇が堂宇を建立され、寺名を「岩間寺」といいました。

当山の中興の祖と云われるのは、小栗判官こと小栗小次郎助重で、常陸の国小栗城で足利持氏の軍に破れ逃れた後、仏門に帰依し各地を巡錫中「瘡痍」にかかり、その治療のため、妻「照手姫」と紀州湯の峯温泉に向かう途中、突然愛馬が病に冒され動けなくなってしまいました。この時、当山の霊験あらたかなることを聞き、従者と共に参拝し祈願すると馬の病は忽ちに全快し、無事湯の峯にたどり着くことが出来ました。愛馬が救われたことに感激した小栗判官は応永33年(1426)堂宇を再建し、「救馬渓観音」と名付けたといわれます。「生馬」の地名や「馬川」の名はこの霊験に由来しているそうです。

当山は熊野本宮への参拝道である山間部を通る「中辺路」と、海岸線を通る「大辺路」の分岐点に位置していることから、古くから熊野本宮への道中の安全を祈願した寺としても知られ、開基以来、観世音の霊徳を慕い、 参拝する人々は列をなしたと伝えられます。


ご案内

霊験ありがたく、厄除観音として善男善女のお参りが多いです。

御本尊

馬頭觀世音菩薩

御歌

みやまじを 
わけつつゆけば 
すくまだに
きよきながれの
たきのひびきに

救馬渓観音連絡先

和歌山県西牟婁郡上富田町生馬313

0739-47-1140